あだのしまのアニメの4話の感想
しまむら母、キャラが全然違うんだよな。。。。。。。。。。。。。。
全然違くないんだよな。。。。。
ってちょっと待て、シマダさん「娘さん」って言ったな? ここは「お宅の子」みたいに性別がわからない表現じゃないと、サウナバトルした時の会話でしまむらが何故自分の子供の性別を知っているのか? と安達母が疑問に持つシーンの意味が無くなるじゃん。。。。
「娘って……あーまぁ、いいや」のシーンがまるで意味がない!!!!!!!!!!!! このトンチンカン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! なんで!!!!!!!!! なんで!!!!!!!!!!!!!!!!
安達母でちょっとツイ検索したけど、誰も突っ込んでねえのかよこれ
視聴している層が原作読み込んでいる勢とは違っているせいかな、9巻表紙イラストのしまむらの髪色には不満が噴出したのに、ここの原作無視故の齟齬にはあんまりなの?
このシーンがショックすぎて話入ってこないなウケる
作画の話いうとキリないからもういいわ
歩道ないんだここ。え、どこを気にしてんの?
しまむらの歌声めっちゃ弦巻じゃん
謎心象風景だ〜
日野と永藤ってコントやる感じだっけ
という感じでした
(文句をつけるためにみている)安達としまむら 3話の感想
あれ、おにくのながふじ3階建ではないんだな
しかもひらがなじゃないんだ。永藤がこの名前好きだって、ひらながのところがいいみたいな話なかったっけ、そこは尊重せずなんだ。。。(探したけど見つけられなかった)
べつにひらがなのままでもいいと思うけどねえ
あーオープニングの曲調が好きなのがムカつくなー(ムカつくなよ)。Bメロのサビまえのバンバンバンバン!って音が増えていくとこの安達のパート好きだなぁ。メロディが好きなんだな、あそこの音程が
いやマジでCMのバベルっていう小説気になるんですけど。。。
安達ってそういうパジャマ着るんだ
随分愉快なぞうさんだ
なんで!!!!!!!!!! 日野と永藤のパートに独白の要素ほとんどないの!?!!?!!!!??!!!!!??????!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あだしまサイドは人物の内面を大分独白で表現しているわけなんですから、日野と永藤。。。。もう。。。。時間がないのか。。。。。。。。。。。。。。。。。。そんな時間はないということか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
作画しんどいな相変わらず
見るたびに「この映像が収録された商品に私は28000円払ったのか。。。」と感じるよな、しみじみとね
「安達としまむら 童貞」
「安達としまむら 作画」
って出てくる。やはりみんな作画の不安定具合を呟いているんだね。。。
安達を童貞いじりしてるやつの殆どが童貞なんだろうなとは思う
女女における片方の挙動不審ムーブを童貞と表現するやつあんまり好きじゃないんだよな
べつに性交渉の経験がない男性のことをそんなに執拗にいじる必要ないと思うんですよね。ホモソの悪いところでていますよ。それにいい加減そういうノリもおもしろくないなと思う。飽きないのか?
挙動不審なやつのこと笑いたければ挙動不審だなぁと笑えばいいし、そのほかのことに結びつけなくていいよ!!!!!!!!(挙動不審なやつのこと笑うな!!!!!!!!!!!!!!!!!)
閑話休題!!!!!!!!!!!!!!!!!!
急に安達の身体が宇宙のような空間に飛ばされたのクソ笑うわ。本当に好きだなそういうの。特別感の演出、手癖にも程があるわ
てか安達って赤系の服選ぶんだなぁ、まぁしまむらに好きな色聞いた時、服を買い足す必要があるって話あったから、まぁそこまで意外でもないかな
なんで急に雪国に飛ぶんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 心象風景!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! まぁ冬っぽいし別に変でもないか、でもワープさせすぎだろ。。。。そういうとこあんぞ本当に
安達としまむら 2話の感想
なんだあのキスシーンの背景!!!!
脚の間に体育座りするんじゃないんか!!! なんでやねんそこが重要やろがい
あと原作でしまむらの部屋のイメージ図はあったよね? なんでそこ取り入れないんだろう
やっぱ特別感の演出をしたいのかな
あとしまむら妹の声のイメージ、完全の日高里菜さんだった(北白川あんこ)からイメージ違った(お前はわがままだね!)
学食のテーブル高すぎだろ!!!!!!
上下してないか?
テーブル高いと食べづらそう。天板が上下するとなるとより一層ですよね(上下しませんよ)
あっ、でもしまむらが人間をダメにするソファ持ってるのはわかるなぁ。そこはいいアレンジじゃね? 普通のクッション→クソデカぐで寝可能クッションというのはいいじゃない
眠ることに関してこだわりめいたものがあるという示唆としてあのソファが部屋に置かれているんだとしたら良すぎる
まぁこれの描写は1話のエンディングにもあったけど、良さには今気づいた
安達の独白のシーン、教室に限って周りの人間の顔が描かれていないのが私は好きだったな。真っ黒になってるの
街中では人の顔が描かれていたから、統一されてたらよかったのになぁ
あと作画不安定だよねえ
安達がしまむらの家行って脚の間に座りたがるシーン、あれはだめでしょ
安達がしまむらの脚の間に座りたがるのは、夢でキスしたシーンをなぞろうとする行為なんだからさぁ、特別感とか百合といえばこんな感じ! っていうイメージが先行したのか知らんけど、夢の描写の座り方も原作をなぞるべきだったんじゃないのか?
だってあれじゃあ、脚の間に座りたがった動機が不明瞭じゃん。流れがあるじゃんか!!!!! なんでなのさ!!!!!!!!!!!!!
あと本当に、、、、、特別感の演出だけはやりたがるし得意だし大好きだよなぁ
なにあの緑の閃光が横に走りいい感じの雰囲気の時の円形のトーンの模様が無数に浮かぶ宇宙のような空間。。。
安達の心象風景だとしても、どういう気持ちから出力されたのかあんまりよくわからないというか、ピンとこないというか、あんまりマッチしてなくないか?
あのシーンは思考が完全に混乱しているわけだけど、その状況とあの心象風景はなんかイメージと違う。。。
おっぱい揉むタイプのおっぱい星人なのは日野だけだろ
2020/10/12 アニメ『安達としまむら』1話をみた
※ポリコレとか嫌いなタイプの愚かな人間は、読まないことをオススメします。
筆者はポリコレとか意識して生活していくべきだと考えているタイプの愚かな人間です。
※アニメ版に対する不満ばっかりです。
昨日、安達としまむらのアニメ1話をみたんですけどね、やっぱ作画ブレ過ぎでしょう。
心配してたけどやっぱり的中したよね。1話で絵柄というか、画風が変わりまくり。
シーンの切り替えごとに変わるのかな? って思ってたけど、区切りごととかでなく、一瞬一瞬で変わりまくる、怪人何百面相かってくらい。
各総作画監督の自分絵祭りですよ。
あれは酷いわ。
いやないわマジで。
ということで、安達としまむらのDVD全巻予約して入金まで済ませてしまいました(血涙)
CMで書き下ろし小説付くって言うから。言うから。
全4巻全部に付くんで、まぁ小説以外眼中にないということで、40ページ強の書き下ろし小説4冊で3万円です。
たけぇ〜〜〜〜〜。泣きそう。
まぁそれもこれも、自分の読みたいという気持ちに従ってのことだから。
書いておくか、アニメ1話の感想。
【良かったところ】
・鬼頭さんの声が安達のイメージと合ってる
挙動不審な演技もうまいだろうし期待出来る。これだけが心の拠り所
・EDアニメで家にいるあだしまの過ごし方が対照的だったところ
しまむらはクッションに腰掛けてリラックスしてたけど、安達は壁に背をつけて体育座りをして、膝の中に顔を埋めるようにして居心地悪そうにしてた。最高
・EDの作詞がこだまさおりさんだった
もはやアニメと関係ないけどちょっとテンションあがっちゃった
【こりゃ嫌だなと思ったところ】
・キャラクターデザインがかわいくない
1話に限らずアニメ版全体の話。しまむらの前髪全然ちげーーーーーじゃねーーーーーーか。あと、公式サイトの永藤のイラスト。これは後述します
・作画が不安定すぎる
「このシーンはちょっと人物の顔のバランス変だな」っていう作画不安定ではなく、同じ区切りのシーンであっても複数人の絵柄がごちゃ混ぜになっている。
ふんわりしててバランスもよくてかわいい絵柄のシーンもあるが、その直後にカクカクしてキャラがどこ見てんだか分かんないような表情をする作画不安定シーンが滑り込んでくる感じ。
のん先生の絵柄をリスペクトして、アニメ向けにシュッとさせたような絵柄のシーン(大好き)もあれば、かわいくないキャラデザを指針として描いてなんかめっちゃバランス悪いなみたいな絵柄になるシーンが混在している。
シンプルにアニメとしてどうなん?
・OPのウユニ塩湖と空飛ぶ自転車
こんなシーンないだろ。心象風景だとしても、安達としまむらが感じているものにそれは近いのかな? という疑問がある。
伏線とか意味合いがあるにしても、なんか伝わりづらいな。何を表してるんだろう。後々分かるのかね。
それか単純に『なんか神秘的っぽく見える』からそうしているのか。。。
・チャリで帰るとき、ウユニ塩湖にワープしたシーン
上記の項目と同じで、なんか特別感の演出ばっかり一丁前なんだよな。
作中のキーワードに「うんめー」というものがあるけど、運命を表現するために必要なのは自転車が空を飛ぶような超常現象やウユニ塩湖みたいな神秘的な情景なのかな?
そうだとわかりやすいんだろうけど、今の安達としまむらの行動圏内にそれはないでしょ。それとも最終話で空飛ぶの?
・安達の傘の柄と自転車に鍵につけられたキーホルダー
傘は店にある無難なの適当に選んで、あぁいう柄のを持つ可能性はあるとは思う。
でも自転車の鍵の方がちょっと気になった。
自転車の鍵を見つけやすいように、目印としてキーホルダー付けることはしそう。でも、安達あんなの選んでつかうかな? あれを付けることになった経緯が知りたいな。
たまたま買った飲み物におまけとして付いてきた、みたいな可能性もあるけど、安達は水ばっかり飲んでるし、ミネラルウォーターにマスコットキャラって滅多にいないじゃん? ジュースならいるけど。
銘柄に拘りも無いようだから「いつもの水ないから今日はジュースにしよう」とかにはならんでしょ。じゃあどこで入手したんだろう。
家に落ちてたキーホルダー勝手に拝借して付けておこう、となるほど安達は家に気を許してないじゃん?
どこで手に入れたんだろう、アレ。
バイト先とかかな。今のところここが一番有力説じゃね? いや本当はキーホルダーとかどうでもよくね?
・しまむらの声
単純にイメージと違った。もっと落ち着いていて、淡々とした声色をイメージしていた。もう少しトーンが低いような感じ。まぁこれは想像でしかないからいいけどね。
伊藤さんの声というか演技? もなんとなく、不安定かなと思った。不安定っつーかゆらゆら震えている感じ? 弦巻こころの声は違和感ないんだけど、それは2年聴いてるからかな
・声優のビジュアルを推してくるところ
これは1話とは別でアニメ版全体の話だけど、鬼頭さんも伊藤さんも、大変ビジュアルのよろしい若い女性声優ですよね。
最初っからその二人を絡ませて、小説や漫画の特典にして売り出すとか、鬼頭さんのソロ曲のCMとしてつかうとか、そういうつもりだったんかね。まぁ、ちょっとは考えてのキャスティングだっただろうけど。
制服着てもらって表紙と同じ構図で写真撮らせてもらうなやマジで。
二次元と三次元等々の分別ついてない人がそういうこと思いつきそう
・永藤の胸の描写
7年前だったら喜んでいたかもね。そもそもあのやりとりが前時代的だから。7年前のだしね。
でも6年前の桜Trickのアニメで「百合アニメなのに過剰な乳揺れ! 男媚び!」っていう百合厨の反発をみて、「そうだな、なんで揺らすんだろう。揺らす必要ないよな」って思ったんで、7年前ですね。7年前なら全然。
でも今は作品のテーマに限らず過剰に乳揺らすの嫌いというか、なんかキモいっすね。
呪術廻戦で両面宿儺の指の封印を解いた女の先輩が呪いに胸揉まれてたのも、ゲェッッッッって思った。(見たときなんか気持ち悪いなこのシーンと思ってたんすけど、他の方が指摘しててうわッッッッって思いました)
あれで喜ぶんだろって思われて、作り手に完全にナメられている感じも嫌なんだけど、シンプルに女性が性的に見られる場合に重要視されがちなパーツが強調して描かれることが全年齢向けコンテンツで当たり前にあることが嫌だな。分別つけたら? そういう「やっちゃえw」的思慮極浅ムーブからアウトプットされたものだっていうのも気持ち悪い。
永藤のキャラデザで服が下乳に挟み込まれているのもマジで気持ち悪いよ。悪いんだけど、その点に関してはそもそも論として「永藤は男子の視線が気になるくせに、下乳に布を挟み込むような衣服の着方をするか?」という疑問があって、それは否でしょってなってくるでしょ。
あのキャラデザに関しては、キャラクターがどう生きるかまで考えが及んでいるとは考えづらいよ。だから信頼できない
というところですかね。
DVD代入金して思ったのが、「1、2巻だったらイベントシリアル目当ての人がそれ以外をメルカリに出したりしないかな?」というところなんですけど、どうでしょう。どう思いますか?
同じような考えで、メルカリで小説確保しようとしている人多そうですよね。
そうなった時に、勝ち取れるのかってとこもある。。。
でも、小説別売とかもされそう。そうなった時に小説単体にいくら出せるって話になってきますよね。
まぁそっちの方が全然お得かもしれないけど。
あーなんだかなぁ。
小説だけ抜いて、DVDはシリアルと一緒に売ったりしちゃおうかな。
シリアルは売るとして、シリアルないとDVD売れないんじゃないか? DVD単体の場合需要あるのかな?
でも、その一方で小説だけ抜いてDVD売るのってどうなん? って気持ちもある。
それは大分損になるんじゃないですか、ってところもだし、そもそも売れるかどうかもわからんこともそうだけど、出した金が全て報われる方法を取るとするならば「DVDを揃えました! だから3万円の出費がありました!」ってところが必要、必要? なんかそれが最善手じゃん?
3万円出してDVD買って小説だけ手元に残して、後は定価の半分くらいで売るってなったら、損失というか、その小説を一体いくらで買ったかっていう結果が残るわけじゃないですか。小説がメルカリに出てたら「メルカリで買えば〇〇円で揃えられたのに……要領悪いなぁ、とほほ……」という結果を突きつけられかねませんよ。
でもDVDを残していれば「3万円でDVD揃えたよね〜」っていう体裁だけは完璧に保つことが出来るんですよ。DVDそのものが欲しかったかどうかは別として。
残すかぁ? どうしようかなぁ。好きな作品ではあるけど、アニメのこと全然許せてない。
好きなところいっぱいみつけて、DVD残しておこうって気持ちになれるのが、今のところ私にとって最善ですけどどうでしょう。どうなるかなぁ。
こんなにいっぱい文句あるのに好きになれる?
私次第かな。いや、ちげーだろ。アニメ版に問題あるわ。あるかないかで言えばありありだわ。。。
いや実際さぁ、文句をつらつらと2000字くらい書いたわけだけど、何が一番不満かっていうと、公式サイトの永藤のイラスト(=キャラデザ)なんだよね。
作画が著しく不安定なのもさ、複数人が携わってないとアニメなんてできないわけだしいいよ。
しまむらの声だってそんなに嫌じゃないよ。
永藤が巨乳だってことを印象付けるなら、ドアップでたゆんたゆんさせるのが一番簡単でわかりやすい方法だと思うし。
特定の二人の関係を神秘的に、特別感満載に表現して尊く見せようとする手法もわかるよ。
小説の地の文をもとにしているモノローグが必然的に詩的になること、それを映像で表現した時に「必要なのはウユニ塩湖や!」ってなるのもいいとしてさ。
旬の女性声優を余すことなく利用して、その二人が前面に出した特典をつけることで書籍の売り上げに貢献しようっていうのも、商売としては無しではない。
しまむらの前髪だって、見たイラストによって、そのイラストをみてどういう前髪になっているかっていう解釈によって、その解釈に基づく描き方によって、全然違うふうになっちゃうのも想像に容易いよ。(まぁよっぽど原作イラストまともにみてねえんだなとは思うけど)
でもよ〜、永藤はあぁいうふうに服着るかね?
自分の胸に対する他者の視線が気になる奴が、胸の形がくっきり出るようにわざわざ布を下乳に挟み混むような着方する〜〜〜??????
そこが一番無理。
キャラクターが自分の体型のことをどう思ってるか1巻で、最初の巻でだよ? 言及されてるのにさ、なんでだろうっていう。なんでそうなったんだろう。
その気持ちを持った人がどういう風に生活するか、具体的にいうと、胸が大きくて他者の視線を気にしている人が服をどういうふうに着ようとするか、ってことを全く考えてない人が描く絵だよね、あれ。
「巨乳キャラか! じゃあ制服下乳ローラーで巻き込んだろ!笑」っていう思考の、よっぽどよっぽど、もうクソクソクソクソ愚かで思慮の浅い奴じゃないとしたら、原作1巻すら集中して読んでないんじゃないかな? って思っちゃうよ。どっちも最悪。いや、実際それが両立しているのか。最悪だろ、どうなってんだよ。
これさえなければ、ここさえなんかこうストンと制服が落ちてたりしていれば、各ポイントに若干文句を付けつつも、ここまで嫌悪感を持つことは無かったと思います。
これ(キャラデザ)を、軸として描かれるアニメのどこを好きになれるんだろう。という絶望感がありますね。わかんねーだろ、お前には。
いや、好きなところはちょいちょいありますよ。ちょいちょいに過ぎないところがまた悲しい。原作のことは大好きのはずなんだけどな。
さっきも書いた通り、EDの家での過ごし方の対比が出てるのはすごく好きだった。
あとはきっと鬼頭さんの演技がすごく好きだと思う。
でも、もっといっぱい好きなところを見つけられないと3万円の出費に納得できない。(DVDは手元に残しておくことにしました)
完全自己都合の3万円の出費のこともそうだけど、発売当初から欠かさず追ってきた好きな作品の映像化がコレだなんて納得できないと思う。
パラレルワールド的に考えてって作者は言ってたけど、まぁそれを踏まえても、もう少し好きなところ見つける必要がある。
ハァーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!
アニメ放送時に発覚した点以外は、安達としまむらのアニメが10月からやるぞ! っていう話を知った当初からずっとずーーーーっと思ってきたことで、これは揺らぐことがないので書いておきます。
アウトプットしないとずっとモヤモヤ考えてしまうから。
ツイッターには書いたんだけど、一つの投稿にまとめられているという点でブログにも残しておきたいと思い、書きました。
ラノベ9巻の表紙も相当嫌でした。
でももうそれで発売されてしまったし、メロンブックス特典の着せ替えカバーかけるんで、それは過ぎたことってことで。
アニメはまだこれから、1月になるまでありますから。
楽しみな部分もあるけど、やっぱり目を三角にして観てしまうんだろうな。
私も悲しいんだわ。いい気分なわけがない。
公式様の言うことやること、全部を受け入れて思考停止状態になれるんならいいですけどね。
好きなものや人から受け取るものであっても、問題のある言動はそう認知するべきだと考えているので無理ですね、そういうふうになるのは。
まぁ、とにかく様子もといアニメをみていきましょう。
5000字超えちゃった。
トランス差別に鈍い自分
今もきっと鈍いんだと思うけど、何故鈍いのかが自分の中で分かった気がするので、記念に書いておこうと思います。
ツイッターで『トランス差別にあたるようなことを言う人』『それを批判する人』をみて、全ての差別に否定的でいたいというスタンスの自分は、もちろんトランス差別も許されないことだと思っていました。今も思っています。
でも、トランス差別について、なにがそれにあたるのかがピンと来なくて。女性差別と障害者差別とかなら、すぐ「なるほど」となったんですけど。
そのうち、トランス差別として批判されている言動が自分の認識と合致してしまっていることを知って「これはよくないな」と思い、昨日の夜ずっと考えていました。
何故鈍いのか、3つの原因と思われるものに辿り着きました。
①自分の性自認に悩んだ時期があったので、トランスジェンダーの人の気持ちをわかる部分があるんじゃないかと驕っていた
②自分は性別という枠組みに拘らない人間だと思っていた
③自分のことをシスジェンダーの女性だと認識していなかった
先ず、【①自分の性自認に悩んだ時期があったので、トランスジェンダーの人の気持ちをわかる部分があるんじゃないかと驕っていた】についてですが、私は女性の身体を持って生まれて、自分のことを女だと把握しながら生きてきました。
その一方で、『女性らしさ』というものに全く順応できず、特撮を好み、赤いランドセルを嫌がり、髪は長いけども「結ぶのは女らしいことだから嫌だ」と拒否る、みたいな。
『女性らしさ』が自分に適用されるのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
それが19歳ごろになると、同年代の同性の人間とはてんで違う自分の見た目に悩み、女性らしく振る舞えないことを気にしまくって生きているという感じになります。
そこで、『Xジェンダー』という概念を知り、自分はXジェンダーなんだと自認するに至りました。(今思えば身体的違和がなかった気がするので、Xジェンダーだと判断される基準からは外れていると思います。違和なかった気がするけど、あった気もする。覚えていない)
ですが1年ちょいくらいで結局、フェミニズムを支持する人の言う「『女性らしさ』とかそういう考え方がそもそもクソだから順応する必要ねーよ」という言説に救われ、女性を自認するに至ります。
まぁ単純に、泣いてゴネながら無理に簡単な化粧覚えたり、髪を伸ばしたりして見た目も変えたんですけど。
Xジェンダー時代に何を一番気にしていたかというと「自分は女のはずだけど、女だって自分で言う資格がないんじゃないか」っていうことでした。
『女性らしさ』に順応出来ないから、自分を女だと思う資格がない。
言ってること大分ヤベーですよね。
認識変わってよかったマジで。
その一方で、その経験則があるため、「トランスジェンダーの人はジェンダーロールに順応出来ないから、自分のことをそうだと思ってんじゃないのか」って思ってしまってたんですよね。
いや、逆ですよね。
トランスジェンダーだからこそ、ジェンダーロールに余計に苦しめられてるわけだと思います。
あるFtMのYouTuberの動画をよく見るんですけど(話し方が愉快で好き)、彼が性別を変える前の動画で「男らしさとか女らしさとか、そういうの本当に嫌い」っていう動画を上げているんですよね。
時系列で言うと、
ジェンダーロールはマジでクソ動画
↓
トランスジェンダーだとカミングアウト動画
だったこともあって、
「トランスジェンダーだから余計にジェンダーロールがキツい」って話を
「ジェンダーロールがキツいからトランスジェンダーとして生きているんだ」と解釈し、自分の経験則を補強してしまっていたんだと思います。
冷静に考えてればわかったような気もするけど。
そこで「ちょっとは気持ちがわかるはずなのに、全然わかんないな……」という状態になります。
わかるわけなんてないのにね、驕りですよこれは。
そういうふうに経験則に認識が阻害されて、差別的な考えを持ってしまっていました。
そして【②自分は性別という枠組みに拘らない人間だと思っていた】なんですが、「男性らしさ、女性らしさという意味での『ジェンダー』そのものがクソ」という意見を目にして、そうだよなぁ。と思うという経験をします。
この意見に自分は賛同できるな、という点から、自分のことを『性別に拘らない人』だと思ってたんですよね。
でも①で述べた通り、自分は『自分のことを女だと把握』して生きてきて、何が辛かったっていうと、『自分で自分のことを女性だと言えないこと』なんですよ。
バリバリに『自分が女性であること』に拘っちゃってんじゃないすか。バリのバリですよ、これ。
こんな執着あるか? いや、あるか。
でも多分、私の人生で一番の執着だったと思います。
結局は、私も性別に拘るタイプの人間だったんだと、気付いたわけです。
自分の恋愛対象が女性なことにも、女性キャラクターにばっかりヨッシャアッッ!!! となってしまうのも、『女性』に対する拘りですよね、結局は。
そういう人間なんですわ。
そうだと認識できると、トランスジェンダーの人があるべき姿になろうと、特定の性別に執着することがなんら不思議じゃなくなってきて、よくわかんないポイントが解消されました。
いや、そうなるわ。当たり前じゃん。
自分は女性の身体を持って生まれて、女性であろうと執着した結果、終着点はすぐ側にあったから、『自分を女性だと認識出来た』ってだけで解決なんですけど。
これが身体が違うってなってくると、終着点は遠くなるわけで。大変だわそりゃとなりました。感想が適当すぎるな。
最後に【③自分のことをシスジェンダーの女性だと認識していなかった】
これ、『自分のことを女だと把握』しつつ生きてきていたなら単純にシスジェンダーだったんだろうけども、自分のことをそうだとは思ってなかったんですよね。
それは、やはり『女性らしい自分』の獲得は済んでいないから。済ます必要はないからしようとしてないんですけど(つらいし)、それもあって「自分はシス女性じゃないわ」って思ってました、ずっと。
不思議だよね、なんで気付かなかったんだろう。
それを認めると、「「心に性別なんてない」って言えるのは、それはあなたがシス女性だからでしょ」という、シス女性に向けた批判も、自分に向くようになって。
「「性別に拘らない」っつーのはシスジェンダーだからこそ簡単に言えるんだ」っちゅー話が理解できました。
今でも何がトランス差別にあたるのかとか、大分鈍いと思うんですけど、物事や自分に対する認識が変わったので、これからはもうちょっとマシに考えられそうです。
そういう話です。
認識甘いとことか、言葉選び悪いとことかあると思う。精進していきます。