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友達いないから大人になった感じしない

友達いないと、一般的に人々が体験するイベントの多くを体験できない

その多くのイベントの中には「大人になったなぁ」と感じるものや、幼いときには実現出来ないようなものが多く含まれていると思う

 

例えば酒だ。酒は20歳以上にならないと飲めない。学生時代の友人と、成人してから集まって酒を飲む。こんな「大人になったなぁ」と感じてしまうイベントは他にはないんじゃないかと思う

実際は酒が飲める年齢になったところで、大人になったという証になるわけでもない。そもそも大人の定義もよくわからない。少なくとも『酒が飲めるようになったから大人になった』ということも全くあり得ない

ただ、「大人になったなぁ」という気持ちにはなるだろうなと思う。それ自体は別にいいんじゃないかなと思っていて、私はこれを体験できなかった。羨ましい

そして次に、友人同士で旅行をすること。これがまた羨ましい。大人にならないとできない感じがする

旅行をするには金がかかる。金を払って非日常を体験しに行く。手元には特に何も残らない。旅行は『体験して、思い出を残すこと』が重要なんだと思う

そういう金の使い方がそもそも大人っぽい感じがする。親や先生の監督無しで遠出をする、これも大人だと認識される年齢になったからこそ実現しうるものだと思う。羨ましい

 

私は基本的にYouTubeを見て時間を無駄にして生きている

YouTubeには、Vlogという動画形式の日記を投稿する派閥が存在しており、それは一定の支持を得ているし、私もそういう動画を見るのが好きだ

Vlogを見るということは、他人のアクティブな1日の切り抜きを見ることと大体同等だと思う。みんなはアクティブな1日をVlogにする。おしゃれにね

そういうのを見るとさ、まず「こんな経験したことないな、、、」と思うわけ。そして次に「こんな経験できはしないんだろうな、、、」と思うわけ

大体みんな旅行に行ってる。私の持っていない運転免許証を存分に活用して、普通に働いて稼いだお金で買った車で移動する。もちろん私は車も持っていない。持っていたところで、そもそも一緒に旅行を楽しむ友人もいないのだ

ここまで、まだ目的地についてすらいないが、この時点で私が獲得できないものが既に複数個ある。この時点で「あぁ、、、」となってくるのだ

だが、他人の生活を垣間見ることは好きなので動画は止めない

目的地につくと、みんな楽しそうにしている。なんか高そうな旅館で、そんなに美味しくなさそうな料理を食って、なにがうまいんだかわからないビールを飲んで、友達と楽しそうに過ごしている。その時間が素晴らしいんだと思う

ここのあたりもキツい。その旅館は一体いくらするんだ。月収10万円の障害者雇用の私だと、給与の何割を差し出すことになるんだ。どうやって予約取った? みんなどうやってやってる?

 

みんなどうやっていろんなこと知っていったの? なんでそんなこと出来るの

なんだかそういうことが満載なのだ。へけ

 

実際、私には許されなかった大学進学を果たした弟は、夜中に家を出て行って朝にはいつのまにか帰っているという生活をしている。多分友達と遊んでいる。

酒はもちろん未成年の頃から飲んでるし、居酒屋デビューだって20歳の誕生日より早くおさめた。

古着に興味が出て、古着のためにオリンピックと疫病がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたカオスプレイス・東京に旅行に行った。友達と。

髪の毛もチリチリにしたし、レンタカーを借りて道内旅行をしたりしてカニで目を腫らして牡蠣で体調を悪くしたりした。友達と。体調崩したのは多分弟だけだが。。。

 

弟が順調に友達と『大人にならないと出来なさそうなこと』を当たり前のように、楽しそうに経験しているわけ

それを同じ家に住んでいるクソぼっちの私は、気が狂いそうになるのを「私ははずれの人生を引いたのだ。そういう人もいるはずだ」と自分を落ち着かせるのだ

 

ここまで読んだ人いる〜? ノ

ここまで読むと「ならお前も友達作れや」と思うと思う。そう思ってんじゃない? 思ってんじゃないの????

でも私は学生時代にあった出来事ですっかり人間不信なので、本当に他者を信頼できないんですよね。だから友達を作るのは無理なんです。既にそういう方面の努力をする心を挫かれてるから。挫かれたらもう素直に折れておきますよ。折れる方が楽だから

いろいろあって他人と一緒にいるとすごく緊張しちゃって疲れちゃうから、もうこの期に及んで友達を作るのは体力面、精神面ともに現実的ではないんですよね

でも憧れる気持ちは捨てきれない。羨ましいと思います。いいな〜

 

本当に他者、信頼できない。信頼できたい

職場とかで親切にしてもらっても、「でもこの人も、もしかしたら同僚と私を小馬鹿にする大喜利めっちゃ言ってるかもしれない」とか考えちゃう

好感を持てそうだったり、信頼できそうだったりすると、全く根拠のない何か悪いことをかもしれないして、思いとどまろうとしてしまう

思いとどまろうとしちゃう。ブレーキかけちゃう。どうしてもこれはそう。何年もそう。無意識にやってる

勝手に期待して勝手に裏切られるのが嫌だ。ただの同じ職場の人間なのに。これがラッパーとかで素敵な曲を毎日聴かせていただいております! ってなってくると話は別なんですけど。。。音楽聴くの、人生の楽しみの一つだからね。それはそうなんだけど

 

小さい頃、マジで将来の夢がなかった。マジでなにもなかった

幼稚園くらいのころから「将来の夢は」ハラスメントがあるじゃないですか。あれ本当に困ってた。なりたいものなんかないし、自分が大人になる姿を想像できなかった

だから小学6年生くらいのときに「普通に働いてればそれでいい」って思いついた。人並みの生活をしていればいい。何をしたいとかも全く無い。これはいい発想だと思った

だけどそれも今は叶ってない。普通には働けなかった

 

人と接するのが極端に怖くなって、人と普通に喋れなくなった。ろくに会話ができない。支援者の人(医者とか就労移行支援事業所の人とか職場の人とか)は出来てるっていうけど、出来てる気がしない。もっと会話って気楽に出来るもんじゃないの? 少なくとも息継ぎを意識して溺れるみたいに喋ること、それに返事をもらうことを会話とは思えない(これは私の場合に限った話であって、他の人がしていればそれは会話だと思う)。

だから一般の枠での就労はできなくて、障害者雇用で月10万円貰ってる

普通の人はもうちょっと貰ってるよね? 時給1000円未満なんだよ。でも周りの人はこの環境を恵まれているって言う

障害者枠での就労は、大抵は最低賃金で昇給賞与無しらしい。就労継続支援B型事業所だと、雇用契約も結んでもらえなくて時給200円が平均。1日1200円貰えればかなり好条件。そっちが恵まれなさすぎてるんではなくてか?

月10万円じゃ生存は出来ても生活はできないでしょ

今は運良く親の金で生活していけてて、給与は貯金と趣味に全部使えてる。まぁその趣味もさ、気の合う友達がいたら数倍くらいには楽しいんだろうなと思うわけよ

一人でも充実してるけど、常に渇望している気がする

物足りない。張り合いもない。だからゲームもアニメも続かない

去年の今頃にやっていたアニメの最終話を未だに見られていない。スティーブン・ユニバースの続きが気になっているのに見ようと思えない。ガルパ開かなくなって多分半年くらい経つ。抑うつだった時にガルパに助けてもらったのに、ガルパで精神持ち直したのに

 

話戻す

タイトルはさっきふとそう考えついたって話で

つまりは『私は普通の人が体験するようなことのほとんどを取りこぼして死んでいくんだろうな』って、毎日毎日、ことあるごとにそう実感していることについて、別の視点というか、大人になった感じがしないという感じ方についても繋がってくるんじゃないかなとか、そう思った

機会がないっていうのは残酷だよね

 

おわり